ピアノレッスンという「拷問」

レッスンのない秋の昼下がり、木陰で読書。
読んだのは、『父の逸脱―ピアノレッスンという拷問』(セリーヌ・ラファエル著)。
いろいろ考えさせられました。
自分のピアノ人生と重ね合わせて……。
セリーヌさんの父は、
娘を世界的ピアニストにしたいという「自分の欲望を満たすため」に、
娘を利用していたのではないか?
決して「娘の幸せ」を考えていたのではなく……。
私が小さい頃に習ったピアノ教師は、
自分の教室から世界的ピアニストを輩出したいという「自分の欲望を満たすため」に、
生徒を利用していたのではないか?
決して一人一人の「生徒の幸せ」を考えていたのではなく……。
今、セリーヌさんは医師になリ、自分の経験を活かして「虐待問題」に取り組んでいます。
今、私は指導者になリ、自分の経験を活かして「真に楽しめるピアノ指導法」に取り組んでいます。
門下生が、「〇コンクールで〇名入賞!」
「〇音大に〇名合格!」
などが、指導者の腕の高さとして評価され、
その教室に、多くの生徒が集まる。
……という時代もありました。
しかし今、人々の価値観が変化してきた気が……。
「一人一人の生徒の幸せ」を一番に考えて教える、 
「ピアノを生涯にわたって楽しめるように」とレッスンしてくれる、
……そんなピアノ教師へと。 
それは、良い変化だと思います。
「先生の欲望のため」ではなく、
本当に「生徒のため」のレッスンが求められているのですから。
一人一人の良さを伸ばし、
ピアノを生涯の友にできるように「真の音楽力」をつける。
……実は、そちらの方がとても難しく、
指導者の力量が必要とされるのですが。
そんなことを考えながら、木陰でボーッと目を閉じ、
頬に、秋風を感じていました。
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